2023.07.03
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サステナビリティの実現には「健康」が不可欠

法政大学 人間環境学部教授 金藤 正直

(プロフィール)
1974年広島県出身。横浜国立大学大学院国際社会科学研究科企業システム専攻博士後期課程修了。東京大学大学院工学系研究科化学システム工学専攻産学官連携研究員を経て、弘前大学人文学部の専任講師、准教授を歴任。2014年4月より法政大学人間環境学部准教授、2019年4月より現職。企業や地域の持続的成長を実現するマネジメントシステムの研究・調査を行っている。担当ゼミのテーマは「企業や地域の持続的成長のためのビジネスモデル」。

私が健康経営に興味を持ったきっかけは、2010年に出版された『よくわかる「健康会計」入門』(森晃爾、永田智久、奥真也/法研)という書籍を読んだことです。ISO監査員をしていた義父が著者のひとりである森晃爾先生と知り合いだったことで本の存在を知りました。内容は、企業が実施した従業員の健康増進への取り組みを見える化・数値化するというもので、非常に興味深く読みました。

その本の影響もあって私自身も企業の健康課題に興味を持ち、取り組みにかかる費用、費用をかけたときに従業員一人ひとりが本当に健康になるのか、労働環境が整備されるのか、それによって従業員にどのような心理的効果があるのかというところから研究をスタートしました。

その後、労働安全衛生の観点で健康を捉えることを検討し始めた2014年頃に、先ほどの本の共著者である永田智久先生から、企業経営と産業保健のあり方に関する研究会へのお誘いをいただきました。永田先生と健康会計の動向や健康経営の考え方について情報共有し始めたのがこの頃で、その後は、本学大学院に社会人入学され、私のゼミ生となった故・髙﨑尚樹氏(株式会社ルネサンス元社長)や、岡田邦夫先生(NPO法人健康経営研究会理事長)との出会いもあり、企業の健康経営の研究を続け、現在に至ります。

現在、大学のゼミナールでは、ゼミ生が複数のチームに分かれて活動しています。その中のひとつである「ヘルスケアチーム」では、企業の健康経営をテーマに研究をしています。ヘルスケアチームの活動は、健康経営の効果を数値化・指標化する方法を検討することからスタートしました。健康経営の効果に関しては、経済産業省から公表されている「健康経営の推進について」で概念が触れられていますが、実際に数値化・指標化する明確な方法がありません(図表4-1~2)。

現在はそれにプラスして、企業が、経済産業省の「健康投資管理会計ガイドライン」に示されている戦略マップどおりに経営を行っているのかどうかを検証したり、健康経営への取り組みが企業価値にどのような影響があるのかも調査しています。

ヘルスケアチームのゼミ生にとって健康経営は興味深いテーマのようです。一方、ゼミ生以外の学生は、学ぶ機会がないので健康経営に対する関心はまだ低いように思います。

私は授業で環境経営やサステナビリティ経営の話をする際、学生に「サステナビリティを実現する主体は?」と問いかけることから始めます。この質問に対し、大半の学生は「国」「地域」「企業」と答えるのですが、「それらを動かしているのは?」という問いを重ね、すべては「人」が動かしていると説明します。そして、企業がサステナビリティを実現していくためには、職場環境や従業員の健康度を高めていくことが重要であると伝えています。つまり、国、地域、企業のサステナビリティを支えているのは人であり、人は健康でなければ活動できないのです。私の授業では、このような話をしつつ、健康経営の話題に触れているため、もしかしたら健康経営に関心を持ち始めた学生もいるかもしれません。

人的資本情報の開示が世界的潮流になる

最近では、健康経営という言葉をメディアでよく耳にするようになりました。日本の健康経営で求められていることは、組織開発・運営にもつながります。従業員一人ひとりの健康をサポートするためには、適材適所の人材配置が重要です。

しかし、メンタル面に不安を抱えている従業員がいる場合は、健康診断の結果をもとに、また産業保健スタッフなどと共に、その従業員の健康保持のための対応を検討したり、必要に応じて仕事量を調整したり、部署を変更するなど何らかの対策が必要になります。このように、健康経営と組織づくりは不可分であるように思います。

しかし、私の肌感覚では「何から手をつけていいのかわからない」という企業がまだ多いような印象を受けています。理由としては、取り組みの成果指標がないことが挙げられます。

健康経営のキーワードのひとつとして「人的資本」があります。人的資本とは、内閣官房より公表された「人的資本可視化指針」によれば、「人材が、教育や研修、日々の業務等を通じて自己の能力や経験、意欲を向上、蓄積することで付加価値創造に資する存在であり、事業環境の変化、経営戦略の転換にともない内外から登用・確保するものであることなど、価値を創造する源泉である『資本』としての性質を有することに着目した表現」のことを指します。

世界に目を向けると、人的資本情報を開示する企業が増えています。欧米では、ドイツ銀行やバンク・オブ・アメリカをはじめ多くの企業が人的資本に関する報告書を発行し始めています。

日本においても先ほど述べた「人的資本可視化指針」やISO30414への対応なども契機となり、大手企業に対して2023年3月期決算以降の有価証券報告書で人的資本開示が義務づけられたことから、各企業による人的資本情報の開示への対応が加速化すると思います。たとえば、健康経営の先進企業であり、「ウェルビーイング経営」を標榜する丸井グループは、統合報告書である「共創経営レポート」「共創サステナビリティレポート」「共創ウェルネスレポート」において、健康経営を通じた従業員意識やワークエンゲージメントに関する指標をはじめ、職場における従業員のしあわせ度(ハピネス度)向上による効果を営業利益に換算した指標、ESGプレミアム指標など非常に充実した内容を公表しています。

企業が従業員の健康に対してサポートする内容としては、人事(人材)戦略やマネジメントだけではありません。たとえば、SDGs関連では人権やダイバーシティなども関係してきます。そのような情報を網羅した人的資本情報を開示する報告書の発行は、おそらく今後の日本でも増えていくのではないでしょうか。たくさんの企業が報告書を発行するようになれば、就活中の学生も各企業の内情を把握できるようになり、「こんな会社で働きたい」と思うきっかけになると思います。

ただ、懸念されるのは、企業側が成果・効果のあった取り組みしか報告書に掲載しない可能性があることです。そういう意味では、企業にとってネガティブな情報も公平に掲載する必要があります。また、健康経営優良法人や健康経営銘柄に選ばれているという事実は、ひとつの指標にはなりますが、それだけでよりよい就職先であると判断しないほうがいいと思います。学生が企業の実態を知るためには、さまざまな報告書や企業ホームページの情報を分析する必要があります。企業が偏りのない情報を開示し、それをチェックする機関も設けていただけると、学生が正しい情報に触れることができ、就職したあとのミスマッチも少なくなるでしょう。

BSCを用いた健康経営評価モデルを開発

健康経営に明確な指標がないことから、私はバランス・スコアカード(BSC)を用いた健康経営評価モデルの開発を始めました。BSCは、財務的、非財務的な数値を用いて、①財務、②顧客、③業務プロセス、④人材と変革──の4つの視点から業績を測定・評価し、企業が策定したビジョンや戦略の達成を促すシステムです。中でも重要なのが、4つの視点をもとに、長期的な観点から事業を成功に導くビジョンや戦略を実現させる「戦略目標」と、それを達成するための活動を可視化したロードマップである「戦略マップ」の作成です。

健康経営も人的資本経営も、今の時代に企業が成長するうえで欠かせない取り組みになりつつありますが、どのようなかたちで効果が波及するかを見える化するのは、とても困難だと言えます。それをできる限り見える化していくという視点が、現在の私の研究内容につながっています。

BSCを用いた健康経営評価モデルを解説するにあたり、まずは経済産業省が作成した「健康経営の効果フロー」をもとに私が考えた図表4-3をご覧ください。

ここには、健康経営における健康、組織、企業価値の因果関係と、取り組みを通じてどのような効果が得られるかが描かれています。経済産業者が「健康投資管理会計ガイドライン」で作成を推奨している戦略マップと似たようなものです。

ただし、このように戦略マップをつくり、取り組みの見える化ができたとしても、その取り組みの効果や、どのように業績に反映されたのかはわからないままですので、この図にも描かれている経営者などの情報利用者の意思決定に対して有効的な情報を十分に提供できるとは言えません。

そこで私が考えたのが、BSCを使った健康経営の評価モデルです(図表4-4)。先ほどの戦略マップを数値化し、各視点の因果関係に関してはもう少し抽象度を高めています。

健康経営を推進するにあたっては、戦略や目標に基づいた実現可能な取り組みや数値を設定することが非常に重要です。現在、企業は戦略マップをつくることに専念している印象がありますが、戦略マップはあくまで戦略や目標に当たるもので、これらに基づいたかたちで具体的な取り組みや数値化をしていかないと、健康経営の取り組みでどんな効果が得られたのかはわからないままです。

企業価値が向上したことをどのような指標で評価するのか、あるいはワークライフバランスの向上をどのような視点で評価するのか――。つまりはマップに対し、数値を指標として示す必要があるわけです。

私の考案した評価モデルでは、ターゲットの隣に実績値の欄をつけたり、またこれに評価点の欄も加えることによって、たとえば、人材確保の達成度やワークライフバランスの向上度などが、ひとつのシートを見て一目でわかるようになります。究極的には、企業という枠組みではなく、この方法で従業員一人ひとりのスコアカードをつくり、評価するべきだと思います。個々人のデータの集積によって、部署や企業にとっての健康経営の効果が、より詳細に把握できると確信しています。

成果指標となる評価モデルがあると、健康経営の取り組みの効果を把握するうえで役立ちますし、企業の基礎情報にもなります。現状、この評価モデルを見てくださった企業の方たちの反応は賛否両論がありますが、企業の最終的な意思決定に使うことができ、健康経営の浸透により役立つことができるよう、今後も研究に力を入れていきたいと思います。

就職先の福利厚生を重視する学生が増えている

私が身近に接している学生たちは、就職先の企業に何を求めているのかというと、「福利厚生」です。私の記憶では、世間で「ブラック企業」という言葉が流行する少し前から、福利厚生への注目度が高まりつつあったように思います。その背景については客観的なデータを持っていませんが、おそらく、働きやすさを知るうえで福利厚生という指標を手掛かりにしているのではないでしょうか。

もちろん、「給与」や「働きがい」「これまで学んできたことを発揮できるか」という視点でも企業を見ているとは思います。しかし、最初に見るのは福利厚生です。自分が活躍できる企業なのかどうかを判断するときに、福利厚生を基盤とする働きやすさが確保されていないと、「パフォーマンスを発揮できない」「スキルが向上しない」という声はよく聞きます。依然として就職先としては大企業が人気ですが、それは大企業であれば、福利厚生を含め、すべてのよい条件がパッケージで揃っているというイメージがあるからです。

ただし、福利厚生だけ見ても、企業によっては漠然とした情報しか開示していない可能性もあります。そこで学生たちに気にかけてほしいのは、企業が従業員に対し、福利厚生も含めてどのようなアプローチをしているのかです。

企業の統合報告書には人事(人材)戦略などについて書かれているので、そういった資料をチェックし、健康経営や労働安全衛生に関する取り組みについて詳細を確認するとよいと思います。就職したときにしっかりと面倒を見てくれるか、きちんと結果を出したときに評価をしてくれるのか、そのような情報は確認しておくべきでしょう。

これにプラスして、私自身が会計学を指導していることもありますが、財務諸表を見ることをおすすめします。3~5年分をチェックしておくと、その企業の業績の動きと共に、どの取り組みに力を入れているのかがよくわかります。

また、時代の変化に対応しない企業は、いろいろと事情はあるかもしれませんが、今後の成長は見込めないのではないかと考えています。現在または将来に求められている新しい取り組みを早めに取り入れて変わろうと努力している企業、人材をコストではなく経営の根幹を担う重要な資源として見ている企業は今後の成長が期待できます。

私は就活中の学生に対して、「身の丈に合った企業を選んでください」とアドバイスしています。運よく大企業に就職することができ、背伸びして頑張っても、壁にぶつかってメンタルを病んでしまえば、仕事ができなくなります。自分自身が無理なく働ける環境なら、「そこがあなたにとって身の丈に合っている企業では?」という提案をしています。

学生は企業のどこを見て、就職先を選ぶべきか

研究で健康経営銘柄の企業を数年単位で見させていただいた経験からお話しすると、健康経営や労働安全衛生に一所懸命努力して取り組んでいる企業は、発行している各種報告書やホームページなどの情報量が非常に豊富です。

たとえば、その企業が従業員を人的資本としてどのように扱っていくかは、企業の持続可能性を分ける大きなテーマになる可能性があります。従業員を重要な資本として扱えない企業には人が集まらないからです。そのため、企業の各種報告書やホームページなどに書かれている内容を見て、時代のニーズに沿った取り組みができているかどうかを判断するべきです。そのような取り組みに力を入れている企業は成長する可能性を感じます。

これからの時代は、自律型の人材に対する需要がより高まっていくのではないかと思います。私自身、授業では学生の自主性を重んじるように努めています。学生には、就職先を探すにしても主体的なリサーチが必須で、志望する企業に就職するために自分に足りない部分があったなら、その部分を補うために積極的に学ぶ姿勢が欠かせません。これから就職を目指す学生のみなさんには、企業をよく知るとともに、自分自身のことも客観的に理解しつつ、自分に合った企業を見つけてほしいと思います。

 

こんな会社で働きたい ウェルビーイングな働き方を実現する健康経営企業編』より転載。