
ネスレは、160年の歴史を持ち、2025年のグループ売上は約17兆円にのぼる世界最大の総合食品・飲料企業です。約27万人の従業員と2000以上のブランドを有し、185カ国で製品を販売、75カ国・335の工場を通じて事業を展開しています。
その活動の根底にあるのは、「Good food, Good life」というスローガンと、社会と共有できる価値を創造するCSVの精神です。グローバルな視座を持ちながら地域に根ざす「グローカル」な戦略を展開。グローバルな組織だからこそできる、社会への貢献について聞きました。
※本記事の掲載内容は取材当時(2026年1月時点)のものであり、現在は異なる場合がございます。
プロフィール
ネスレ日本株式会社
常務執行役員 飲料事業本部長
島川 基
ネスレ日本入社後、飲料事業本部にてブランドマーケティングを担当。複数の製品カテゴリーを経験し、基幹ビジネスの成長を推進するとともに、IoTコーヒーマシンなどのイノベーションをリード。また、チャネルを横断して「ネスカフェ」ブランド全体のマーケティング戦略の立案・実行に携わり、キャリアを重ねる。2020年よりネスレスイス本社にて、Zone AOA アシスタントリージョナルマネージャーとして各市場の経営企画を支援。2022年に帰国後は、デジタルマーケティングおよびD2Cを含むネスレ日本のイーコマース全体を統括し、新規事業開発や部門横断での全社デジタルトランスフォーメーションをリード。2025年より現職。飲料事業本部長として家庭内・家庭外の両チャネルを統括し、「ネスカフェ」「スターバックスCPG」という2大コーヒーブランドの事業P/Lに責任を持ちながら、飲料事業全体の成長を牽引している。
「食」を通して健康を生み出す
高校時代に短期留学した際、世界の広さや多様な価値観に触れました。国ごとに人々の考え方は異なり、「ユニバーサルな消費者」は存在しない。そう気づいた一方で、国による違いがある中でも、グローバルに事業展開できる会社にはどのような強みがあるのか、興味を持つようになりました。ネスレに惹かれた理由のひとつは、そこです。加えて、トップブランドとして市場のルールメイキングに関われることも魅力でした。
また、「Good food, Good life」というスローガンに共感したこともあります。「食の力で人々の生活を豊かにする」というメッセージを見て、「ここに入社したら、世の中のためになる仕事ができる」と感じました。
いまから160年程前、1867年に、ネスレの創業者であるアンリ・ネスレは、社会問題の解決を目的に事業を始めました。当時は、病気や栄養不足が原因で母乳育児ができない女性が多かったそうです。信頼できる母乳代替品もなく、乳幼児の死亡率は高くなっていました。簡単に使えて、おいしく、正しい栄養を摂取できる乳児用乳製品の開発が、ネスレのスターティングポイントです。
当時から、世界的に人口が増加する中で、健康課題を明確に捉えていたのだと思います。たとえば、途上国において億単位の規模で起きる、子どもの微量栄養素(ビタミンとミネラルの総称)不足の問題です。ネスレは「コンソメ」や「ブイヨン」などの中に微量栄養素を入れることで、問題解決に寄与していました。
そして、「健康」とは単に栄養だけからもたらされるものではありません。1948年に発効されたWHO憲章では、「健康」の定義を、「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。」としています(日本WHO協会訳)。
たとえば、ネスレが扱うコーヒーやチョコレートは嗜好品であり、なくても最低限の生活に困ることはありません。しかし、リラックスして気持ちを切り替えたり、頑張ろうと前向きになったりと、精神面を支えてくれるものでもあります。また、食卓を囲むことで家族との会話が生まれたり、カフェで友人と語り合ったりといった社会的なつながりも生まれます。「食」は栄養という価値だけではなく、さまざまな面から健康に寄与しているのです。
ビジネスで社会課題を解決する

ネスレでは、事業展開の根幹にCSV(Creating Shared Value:共通価値の創造)という考え方を持っています。CSVは「経済的価値」と「社会的価値」の両立を目指すもので、そのためには、相互の関係性が重要だと考えています。
たとえば、企業にとって余裕がある時期にだけ募金や協賛を行う。それだけでは、継続した支援はできません。CSVとは、社会課題をビジネスの機会と捉え、自社の事業を通じて社会課題の解決を目指すものです。
ネスレでは、その体現の例としてコーヒー栽培に適した高品質の品種を開発し、農家へ苗木を無償で配布するとともに、継続的な技術支援を行うことで、双方にとって有益なビジネスサイクルを創り上げています。(*1 )
また、短期の生産性のみでなく中長期を見据えて持続性のある土壌開発を重視しています。そのための取り組みの一環として、ネスレの全製品のうち2030年までに5割以上の原材料を、再生農業(土壌の健全性と肥沃度を高め、水資源や生物多様性の保護を目指す農業のアプローチ *2 )を基盤としたものから調達するというコミットメントを公表しています。(*3 )
収穫量を上げるために、単一の作物をつくり続ける。一見効率的に見えますが、中長期的に見ると、微生物などの多様性が失われ、土地はやせ細っていきます。シェードツリー(直射日光からコーヒーの木を守るための植物)を植えたり、別の作物をつくったりする。複数の樹木を共存させることは、持続可能な農業をするための理にかなった考え方です。
再生農業に関する技術を農家の方々に提供することで、農家の生活や農業そのものが長期的に成り立つようになります。こうして、社会全体、地球に対して価値を生み出すことのできる関係を築けていると考えています。
判断基準は「敬意」に根ざす
私たちが物事を判断する基準に、「Our values are rooted in RESPECT.」という価値観があります。敬意の対象は、「自分自身」「他者」「多様性」「未来」の4つです。
敬意とは、「あなたはその観点で語っているんですね。私の視点では、こうです」というように、お互いの目線を合わせて議論するためのツールになります。敬意を持って、まず人の話を傾聴する。これが大事になってきます。
敬意とは、相手を理解しようと努めることでもあると思います。たとえば、「自分自身」への敬意とは、自分を理解することです。
ウェルビーイングを高める要素として「選択肢」や「自己決定権」が挙げられます。それらを得るには、周囲から「個」として敬意を持たれ、理解されることが重要です。
理解されるためには、自分を表現しなければいけません。しかし、よほどの自信家でなければ自分の意見を「正しい」とは思えず、特にグローバルの場では、表現するのは非常に難しいことだと思います。
だからこそ、自分を客観視し、自分の発言や考え方に価値があると認めることが大切です。自分の尊厳を自分で認めることは、アイデンティティを形づくり、成長していくうえでも重要な要素となります。
そして、「未来」への敬意です。過去の人たちの意思決定の積み重ねによって現在の社会があり、その延長線上に未来があります。未来に対する敬意とは、未来を軽視しないこと、そのうえで自分たちが未来をつくり、支えていく存在であると自覚することです。
未来への敬意を持たずにいれば、「いまさえよければいい」という短期的な判断に陥ってしまいます。私たちが行うキャンペーンや生み出した製品は、後世に記録として残り、その便益を享受するのは未来の世代です。私たちにできることは、責任を持って未来へつないでいくことです。
「日本のお客さま」は何に価値を見いだすか
ネスレでは、「Think Globally, Act Locally」という言葉がよく使われます。環境が違えば、ものの見方や考え方・判断基準は変わります。ある国にとってはネガティブに受け止められる判断が、ほかの国にとってはポジティブに受け止められることもある。土地・気候・風土・人種・宗教。180カ国以上で事業を展開していると、全員が同じように喜ぶ判断はめったにありません。
しかし、その中で「最大公約数な答え」を選ぶことで、効果を最大限にすることはできます。たとえば、製品の砂糖の含有率ひとつ取っても、国ごとにバラつきがあります。各国の法規制を遵守しつつ、WHOの方針を考慮し、達成すべき栄養基準のグローバルスタンダードをネスレとして定めています。また、ネスレ日本には、この考え方を体現するワードとして、「Glocal(グローカル)」という概念があります。「グローバル」と「ローカル」を組み合わせた造語で、地球規模の広い視点を持ちながら、地域の文化や特性に根ざしたビジネスを行うという考え方です。
日本の食文化は、すごくユニークです。その中で、広く認知されているグローバルなブランドや製品は、実はあまり多くありません。ネスレは世界最大の食品・飲料会社であるからこその、多様な人材とブランドというグローバルの強みと、日本で110年以上にわたり、日本の食文化や習慣、日本のお客さまに寄り添ってきたという強み(ローカル)の両方を活かした、まさに“グローカルカンパニー”だと思います。
代表例が「ネスカフェ ゴールドブレンド」です。上質な香り、マイルドな味わい、雑味のない澄み切った後味が特長のコーヒーで、日本市場で大きなシェアを得ることができています。これは日本だけで、ほかの国では主流の「ネスカフェ」製品と比べるとまだまだ存在感は小さいです。「ネスカフェ ゴールドブレンド」の大きな成功は、日本独自のマーケティングの結果です。
日本にコーヒー文化を普及させた製品が、1960年に発売した「ネスカフェ」(現在の「ネスカフェ エクセラ」)です。その後1967年に日本初のフリーズドライ製法のコーヒーとして「ネスカフェ ゴールドブレンド」を発売し、1970年から日本の市場向けに打ち出したのが「違いのわかる男」というキャンペーンです。
高度経済成長期において、「いいものは高いものだ」という画一的価値観が強かった時代に、「違いがわかる」というポジショニングをつくり出した。これは日本の文化形成においても大きな意味を持ったと考えています。
ちなみに、「コーヒーを水に溶いてアイスコーヒーをつくる」というのも、日本が世界に先駆けて展開したものです。世界では最近になりアイスコーヒーが浸透してきましたが、長い間その認知は低かった。日本では「ネスカフェ」発売後間もない1962年にすでにアイスコーヒーとして楽しむテレビCMを放映し、そこから日本ではアイスも一般的な飲み方になっていきました。
ネスレではグローバルなキャンペーンやコミュニケーションもいくつかありますが、日本の「ネスカフェ」ではグローバルのブランド資産を活用しつつ、日本独自の展開をしています。どんな製品が日本のライフスタイルに合って、お客さまが価値を見いだすか。「Think Globally, Act Locally」を体現していると思います。
多国籍な環境で身につく国際感覚
ネスレの社員は多国籍です。スイス本社には、アジア、オセアニア、アフリカ、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、アメリカなど、さまざまな地域出身の社員がいます。ネスレ日本にも海外からのエクスパット(駐在員)が在籍しており、私のチームにも複数の国籍の社員がいます。
こうした環境で働くことで、多様な価値観に触れ、それを理解し、受容する経験を重ねることができます。海外の社員は、日本のやり方や文化に適応しながら働いています。一方で、自分たちの考えや自国での成功事例を共有できる環境も整っています。それを見て、日本の社員も自分たちにはない考え方を知ることができます。
また、グローバルな環境では、自分の常識を疑う機会が自然と生まれます。たとえば、「新卒一括採用を行う」といった日本独自の慣習について、海外の人からは「なぜそうしているのか」と問われます。しかし、多くの日本人は「なぜ」をきちんと説明できません。「慣習だから」「ずっとそうしてきたから」と思考が止まってしまっていることに気づかされます。そうした過程で、自分で考えを整理し、言語化する癖がつきます。
仕事のアウトプットを単に変えることだけであれば、難しくありません。その根底にある「なぜ」にたどり着けるかどうかが、大きな違いを生むのだと思います。「なぜ」を掘り下げることで、「どうやるか」を考えます。そこからイノベーションの可能性も広がっていきます。ビジネスの現場で自然と国際感覚が身につく点は、多国籍な組織で働く大きなメリットだと思います。
反射的に考えて判断できる経験値
日本企業では、「みんなでよくしよう」という意識が強いと感じます。きめ細かな仕事ができるという長所がある一方で、それでは仕事の目的やゴールが十分に言語化されないまま進むことも少なくありません。
ネスレでは、個々人の職務内容や達成すべき目標がしっかり言語化されています。トレーニングも充実していますが、会社の人事プログラムに乗れば自動的に成長できる、ということはありません。毎年のゴール設定や振り返りを通じて、自分が何を達成し、何を学ぶべきかを確認しながらコミットメントすることが求められます。
AIの進化が加速する現代、今後必要なキャリアがどのように変化していくのかは、誰にも判断できません。ただ、ひとつの基準として、35歳くらいで自分の担当している仕事において反射的に考え、判断できるだけの経験値を身につけていることが必要だと思います。
職務に関わらず共通で必要なものは、まずビジネスパーソンとしての基礎的なスキルセットだと考えます。批判的思考やロジカルシンキングはもちろん、きちんと数字で成果を出せることが必須です。さらに、コミュニケーション能力も非常に重要です。
ひとりで黙々と行う作業は、今後AIに代替されていくでしょう。最終的に意思決定を行うのは人間です。周囲をどのように自分の考えに巻き込んでいくことができるかが、今後ますます大切になってきます。
ビジネスパーソンとしての土台となるこれらのスキルに加えて、自分なりの専門性を高めていく。ただ、最初から自分に向いている分野がわかるのは稀です。当社でも、セールスからマーケティングへ、あるいはその逆に異動する人もいますし、マーケティングからファイナンスにキャリアを移す人もいます。大切なのは、それぞれの領域で明確な責任範囲とプロ意識を持ちながら仕事をすることだと思います。そこから、おのずと専門性が身についていくはずです。
「日本国民」でありながら「世界市民」

私たちは、グローバルな組織を背景に、日本の人たちのために事業を行っています。そうした働き方をするうえでは、自分が日本国民でありながら、世界市民のひとりであるという意識を持たなければいけません。
どんな領域でも、グローバルのエコシステムがなければ、現在の日本社会は成り立ちません。食料自給率を考えても、国内生産だけで食生活を賄えないのは明白であり、日本と世界は切っても切れない関係にあります。国内のニュースはもちろん大切ですが、世界の情勢が政治や経済、為替にどう影響し、そのうねりが自分たちのビジネス領域にどう関わってくるのかを見極める必要があります。
また、日本の産業にどういった価値があるかを、世界視点で客観的に見ておくことも不可欠です。これは、日本企業にとって大きな課題だと感じます。
日本には宝物のような技術がたくさんあり、発信方法によっては十分に世界で勝負できると思います。しかし、実際の成功例は多くありません。日本のコミュニティを守り、サステナブルにやっていこうという意識が強すぎるあまり、世界に打って出ようという意識が生まれにくいのかもしれません。
日本人が日本のために頑張るのは正しいことです。しかし、同時に世界からの恩恵を得ることで日本の社会は成り立っています。一方的に恩恵を受けるだけではなく、世界の中での存在意義を示すためにも、日本の文化や価値を外に発信していくべきです。
そのために、グローバルな価値観とバックグラウンドが活きてきます。世界を知り、その中での日本を知る。その視点があってこそ、日本人であることの価値をより深く認識できるはずです。
〈 出典一覧 〉
*1『NESCAFÉ PLAN 2030 PROGRESS REPORT 2024』より
https://www.nestle.com/sites/default/files/2025-06/nescafe-plan-2030-progress-report-2024.pdf
*2 ネスカフェ 公式サイトより
https://nescafe.nestle.jp/sustainability
*3 Nestlé Global 公式サイトより
https://www.nestle.com/sustainability/nature-environment/regenerative-agriculture
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