美白歯みがき「アパガード」で知られる株式会社サンギ。
一世を風靡した「芸能人は歯が命」のテレビCMで歯みがき剤市場に「美白」のセグメントを作ったといわれるが、1995年の大ブームの後、競合他社の追随もあり、一時は倒産寸前まで追い込まれた。
そこから復活していく過程には、マーケティングの見直し――とりわけ、ブランドの再構築があったという。当時、何を重視し、どう取り組んだのか。創業社長の妻としてどん底の時期に入社し、事業再興をリードした、現社長のロズリン・ヘイマンさんにお話を伺った。
CM「芸能人は歯が命」で、1年分を1週間で完売
ブームと終息は、一瞬の大波のようでした。創業者で私の夫の佐久間周治(現会長)が歯みがきの開発に着手したのは1978年のこと。2年後に製品化に成功し、「アパデント」を他社に提供したのち、1985年には自社ブランドとして「アパガード」を生み出しました。でも、それほど売れ行きは良くない。最初の頃は「この製品は大丈夫?」などと、効果自体を疑われたりもしました。
アパガードという製品の効能を証明するには、主成分のハイドロキシアパタイトを薬用成分として国からの認証を得ることが重要でした。臨床データを揃えるなどの苦労をして、ようやく旧厚生省からむし歯予防成分「薬用ハイドロキシアパタイト」として認められたのは1993年のことでした。そこまでに13年という年月がかかり、とても長い道のりでした。
ところが、やっと自信を持って売り出せることになったそのタイミングで、他社から似たような薬用歯みがきが発売されることがわかりました。しかもパッケージもそっくりで……。
これは先に手を打たなければ! と佐久間が考えたのが、テレビのCMでした。
最初は、俳優の石田純一さんと東ちづるさんのコンビによる「白い歯が好き」というCMです。売り上げに好影響があったんです。
気を良くして第二弾で打ったCMが「芸能人は歯が命」です。俳優の東幹久さんと高岡早紀さんにご出演いただいたこのCMは、まったく予想もしていなかった大反響を呼びました。CM開始からたった1週間で、1年分の在庫とみていた30万本が売れてしまったのです。
拡大路線から一転、悲惨な財務状況
「芸能人は歯が命」のCMを放送するまでの当社は、販売の部門がさほど強くなく、販売ルートは通販に限られていました。ところがそのCMの放送後は、各方面から「売ってほしい」という、多くの声が当社に届きました。当時はそれに対応するセクションが社内になく、慌ててスタッフを増やす必要があったほどの大きな反響でした。
CMを放送した年の売り上げは、約140億円となり(前年は約30億円)、金額をベースにすると、歯みがき市場の約20%を占めました。今でも同業者の方に、その当時は商品が売れなくて困ったと言われるくらいの売行きでした。
会社の利益が急に上がり、多くの資金が入ってくると、どうしても拡大路線に走ってしまいます。あっという間に当社の社員は60人だった人数が4倍の240人になり、1つしかなかった当社の開発研究所も4カ所に増えました。
しかし、ブームは終息するもの。歯みがき剤といえば200円くらいが常識だったなか、2000円もの商品が飛ぶように売れたのです。その事実は、他社からすれば、付加価値があれば高くても売れるということに気づく機会になったと思います。その結果、他社の追随も激しく、事業を拡大したにも関わらずサンギの売り上げは減っていきました。
私が入社したのは1999年ですが、このときの財務は悲惨で、実質は倒産しているようなものでした。
「人の和」と商品力が生命線となった
実は私が入社する以前にも佐久間からは、「会社を一緒にやらないか」と何度も声を掛けられていました。しかし、夫婦は別々のキャリアのほうがいいと考えていたので、断り続けていたのです。
もともと私が来日したのは、語学を学ぶためでした。来日する前は、出身地のオーストラリアの貿易産業省に勤めていたのですが、大学時代にフランス語、ドイツ語を専攻したことを知った上司から、日本語を学ぶことを勧められました。
仕事において、今後は日本との関係性が重要だからという理由でした。私は、幸運にも奨学金を得られたこともあって、日本へ留学し、慶應義塾大学国際センターを経て、東京大学大学院を修了しました。
その後、一旦はオーストラリアに帰って日本大使館に勤めたのですが、留学中に出会った佐久間と結婚することになり、日本に永住することとなったのです。仕事として、最初は日本の共同通信社で英文のジャーナリストとして働いたり、外資系の証券会社でアナリストを務めたりしました。
しかしバブル崩壊後、証券会社からリストラとなって、自分の本当にやりたいことは何なのかと考えるようになりました。私たちには子供がいなくて、犬や猫を飼うことで、素敵な獣医師と出会った結果、その職業への強い憧れを感じて、あえて獣医師を目指すようになりました。
大学に入り直して、解剖や馬房の掃除をしているうちに、アパガードのCMが始まり、商品が大ヒットとなりました。「あなた、あのCMの会社の奥様でしょ?なぜこんなところにいるの?」などと周りから驚かれたりもしました。1999年には獣医師免許を取れたので、あのまま会社が順調だったなら、私は今頃、獣医師として働いているでしょう。
でも、そんな個人の夢は、倒産寸前の状況で押し通せるものではありませんでした。夫との連帯感もあるし、自宅のローンすら払えないぐらいになっていたからです。
私がサンギに入社したからと言って、会社を一挙に立て直せると思っていたわけではありません。証券アナリストの経験はあっても、マーケティングの知識があるわけないし、会社経営の経験もありません。私は、「船は沈んでしまうかもしれない。少なくとも一緒に沈もう」という想いだけ持っていました。
知識がない分、大事にしたのは「普通の感覚」でした。普通に考えて、今のやり方ではだめだよねと。というのも、当時は極端な値引きにも応じていて、大規模販売店では店頭のバケツに投げ入れて売られたりもしていました。私はそれを見てとても悲しく思いました。大好きな商品が投げ売りをされているのですから。
これを変えなければいけないと思いたち、まず値引きを禁止しました。それから十数種類あった商品をどんどん廃止し、メイン商品だけに絞ったんです。その時の社内の反発はすごかったです。外国人、女性、未経験――。そんなアナタに何が分かるの? と。
非常にラッキーだったのは、マレーシア人のマーケティングのプロが友人にいて、彼女がサポートしてくれたことでした。アメリカに住みながら、半年くらい1カ月に1週間のペースで日本に来てサポートをしてくれたんです。
それから、ブランドの立て直しの経験がある方をスカウトしてもらいました。ブームと衰退、そして復活を成し遂げた美容ブランドがあったので、そこに「誰でもいいから紹介して!」と頼み込んで入ってもらいました。
株式会社サンギの名称は、孟子の「三儀」(天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず)に由来しているのですが、確かにあの逆境では、「人の和」が支えになったと思います。社員たちやステークホルダーが一体になることで、最大の危機に底を打つことができました。
それから、もう一つ、リブランディングに成功した要因には、やはり「商品力」があったと思います。「アパガード」は使用実感が最高だし、歯を白く美しく導いてくれます。そのうえ、歯の「汚れを落とす」というよりも、歯の「主成分を補給する」という他にはない商品力がファン獲得に繋がっています。またユーザーの自発的な口コミが新たなユーザーを生んでいることも商品力がなせる業だと自負しています。
業績が傾いていたあの頃、ロイヤルユーザーが付いていたことが生命線となりました。
「アパガード」は現在でも、コスメ系口コミサイトやSNSなどで高い評価をいただいています。認知度が高いので、この20年間TVCMは行っていません。現在では、美容のイベントや医師会の活動、大学の学園祭などさまざまなイベントや企画で、サンプリングをして宣伝活動をしています。一度使っていただければ、絶対に使用感の良さをご理解いただけると自信があるのです。
「より良いもの」は、楽しさから生まれる
そんな当社も、気づけば2024年で創業50年。過ぎてしまうと早いものですね。子どもがいない私達経営者にとっては、会社が我が子のようなものです。若い社員たちと同じ目的に向かってチャレンジしていくのは楽しいですし、社員たちが研究開発・企画立案でブレークスルーしたり、発表や受賞で評価されたりするのを見るのも大きな喜びです。
仕事においては、みんな対等です。年齢も性別も、もちろん国籍も関係ない。50歳を過ぎて会社に入った外国人女性の私がその証拠ですよ。サンギでは、上下関係を気にしなくて済むよう、肩書きで呼び合うのもなるべく避けようとしています。
サンギは、製造部門を持たない研究開発に特化したファブレス企業なので、より良いもの、新しいものを生み出すには一人ひとりのアイデアが最重要です。それが生まれるためには、自由に発言できる雰囲気や、積極的に仕事に向き合える環境、一言でいえば「楽しい」と思えることが必要です。
会社としてはそのために、フレックスや在宅勤務の活用、育児・介護休暇制度、年間135日という手厚い休暇、社員満足度調査に基づいた制度見直しやハラスメントの早期対応など、働きやすい環境作りに努めています。また、利益を社員に還元する決算賞与の導入や、持株会制度なども設けています。懇親会やゴルフ大会などの社内行事も多いですね。
開発は楽しいというベンチャー精神を発揮
上場企業ではないこともあり、厳しい売り上げ目標を設定するようなことはしていません。ですが、おかげさまで海外からの引き合いが多いなど、展望は大きく開けています。
私たちが開発のベースとしている歯や骨の主成分「ハイドロキシアパタイト」は、もともとはNASA(アメリカ航空宇宙局)が宇宙飛行士の骨と歯を守るために開発・特許を得た技術に基づいており、その可能性は無限です。
例えば、歯みがき剤以外にも、その吸着力はスキンケアのクレンジングフォームやフェイススクラブ(いずれもブランド名は「HAP+R」=ハップアール)の配合成分として活かされています。とてもきれいに汚れが落ちて、気持ちいい。また、チューインガムや、ドライマウスを防ぐ錠剤など食品の成分としても配合されています。
今後、当社は、さらに歯科医療のほうに重点を置いていく方針です。すでに知覚過敏に有効な医療機器の認証を受けていますし、より画期的な歯科治療の手法にもめどが立っています。
このように、ハイドロキシアパタイトを軸に、人と自然の持つ再生能力を引き出す商品を世の中に提供することが我が社の使命です。それをハイレベルで維持していくためにも、創業時から大切にしてきた「人の和」を原動力にして、より一層、「開発は楽しい」というベンチャー精神を発揮していきたいと思います。