気球で、宇宙へ── 将来、誰でも数百万円台で宇宙を見に行ける世界の実現に向けたファーストトライが目前に迫ってきた。
岩谷技研。
一般客に向けた「宇宙遊覧」サービスの提供を目指す宇宙スタートアップだ。
通常、宇宙旅行には重力と環境変化に耐えるための長期間の訓練に加え、数億~数千億円もの巨額の資金を要する。しかし岩谷技研の宇宙遊覧は、一切の訓練を必要としない。かつ将来的には、同時に数十人が搭乗可能にすることで、一度のフライトにかかるコストを削減し、一人当たり数百万円規模で利用可能にすることを目指す。
ガス気球を使い、地上から最高高度25kmの成層圏を航行する往復4~6時間の旅。約1時間ほど漆黒の宇宙空間を眺め、眼下に巨大な地球を見下ろすことができる。
岩谷技研ではこれまで500回ものテストフライトを実施し、安全性を追求してきた。2024年7月には、パイロットが搭乗して高度20,816mに達する飛行試験を成功させ、いよいよ2025年春以降に、商業運航に臨もうとしている。
国内で気球による宇宙遊覧に挑む企業は岩谷技研、一社のみ。グローバルでは競合もいるが、一般客を乗せた商業運航を実現した事例はいまだ皆無だ。
世界初となる“訓練していない人間”を乗せた気球での「宇宙遊覧の旅」実現に先駆け、クロスメディアは同社社員と、代表・岩谷圭介氏へ取材を敢行。創業10年に満たない宇宙スタートアップの、イノベーションの源泉はどこにあるのか。彼らの強さの秘密に迫る。
500回もの「トライ」
――気球による宇宙遊覧の商業運航実現が目前に迫っています。世界に先駆けてここまで来ることができた強みはどこにありますか。
岩谷 このビジネスはそもそも「気球」を使っていることが強みになっています。気球であることで、宇宙を目指す乗り物として圧倒的な数の試行回数を重ねることができるため、技術力の開発スピードがとにかく速い。
ロケットの場合、1~2年に一度のペースで発射実験ができるかどうかですが、私たちは年間40~50回のテストフライトをしています。今期(2025年3月期)で9期目ですが、すでに500回にわたり実施してきました。このスピードは、岩谷の文化とも言えるものです。
ものづくりは数えきれないトライの連続です。そのトライのスパンを短くし、何度も繰り返してきたことで、私たちは国内で他社が持っていない様々な技術を獲得してきました。
単純な好奇心から挑戦を始めた宇宙遊覧ですが、科学的、現実的にできるかを思案し、出てきた課題を一つずつクリアしたことで着実に実現に近づいています。
――気球での宇宙遊覧は、事業の開始当初から「できる」と確信していたのでしょうか。
確信はありません。こうすればできるという仮説はありました。その仮説に裏打ちとして存在していたのが、私が学生時代から専攻してきた「物理学」です。物理の世界では、“裏技”のようなものはなく、あるのは「物理法則」だけです。
私たちがやってきたことは、決して天才の所業などではない。純粋な「トライ」を繰り返すなかで、物理法則に則った結果を繰り返し見てきたということ。その結果から何度も学んできたということ。ただそれだけなのです。
「この世にないもの」をつくる
――岩谷技研の高い技術力はどのようにして生まれているのでしょうか。
藤原 まず、岩谷技研を支えるのが強い技術力であることは間違いありません。その技術力は、圧倒的な開発スピードによって下支えされています。
代表の岩谷は「モノはつくってなんぼ」という考えを持っており、その思想は社内に浸透しています。構想があればまず「つくってみる」。小さな会社でもあり、開発や製造に関するコミュニケーションが非常にスムーズにできます。たとえばプロトタイプの製作、実装、改善といった一連の研究、開発スピードはとても速い。他社を経験して弊社へジョインする人間は誰もがそう感じています。
この開発スピードを実現しているのが、弊社の組織体制です。
一般的な企業では、開発、製造、運用部門とが、細かく分かれていることが多いと思います。岩谷技研では、研究課、設計課、製造課、実験課といった組織が、すべて「開発部」として一体化された組織に属しています。
これらのメンバーが「ワンフロア」で働いているため、組織構造上だけでなく、物理的にも情報交換がしやすい。相互フィードバックが一瞬で交わされ、異なる視点からの意見を「秒」単位で共有できる環境が整っているのです。
岩谷との距離の近さも、スピードに寄与しています。まだ小さい組織ですが、普段から見ていても岩谷はとにかく判断が早い。私たちが考えついたことを、その場で岩谷に投げかけると、方向性が合っているか異なっているか、何が合っていて何が違うのか、即座にフィードバックがあります。ベンチャーならではというより、岩谷技研ならではのスピード感は、私たちの強靭な武器になっている実感があります。
そもそも私たちが開発しているのは、まだ世の中に存在しないものです。すでに販売されていれば購入して改良すればいいのですが、生命維持装置も、コックピットも、どこを探しても売られていません。「つくらなければ、テストさえできない」という背景が、開発スピードと技術力を高めている根本的要因です。
――人材は、航空宇宙企業の出身者などが多いのでしょうか。
むしろ他の産業から入るメンバーのほうが多く在籍しています。鉄道会社や、プラント建設、通信キャリアなど、それぞれのバックグラウンドから考えつく開発要件や技術アイデアをどんどん盛り込んでいくことで、弊社の気球は進化してきました。
社内では失敗と成功をすべて文書に残して共有していますが、そうしてでき上がった“常識”めいたものを、新しく入った人が良い意味で壊して覆してくれます。それを受け入れることを当然としながら、一丸となって事業を盛り上げているのが岩谷技研です。
「できない」ことを「やろう」と言う
――岩谷技研の開発する「宇宙遊覧用キャビン」とはどのようなものですか。
森本 端的に言えば、宇宙空間で人間を安全に守るための乗り物です。
飛行機は高度約10,000mを航行していますが、宇宙遊覧で到達するのはその倍以上の25,000m。真空、低温、無酸素の世界で乗員の「生命」を守るため、キャビンは生命維持装置としてさまざまな機能を備えています。
ひとつが、温度コントロール機能です。高度が上がると気圧は低下し気温も下がります。外気温がマイナス70度以下になる影響で、当然キャビンも冷えていきます。しかし成層圏まで上昇すると、今度は太陽光線の影響が強くなりキャビン内の温度は上昇することになります。こうした温度変化の振れ幅が激しい環境で、機体と人体を守るために精密な温度コントロールが不可欠です。
空気を外に漏らさない仕組みも重要です。高高度には呼吸に必要なだけの酸素がないため、機内の酸素が外に出ていくともはや取り込むことができません。そのためキャビンの気密性能には特に気を遣っています。キャビンという閉じた空間で4時間以上にわたり人間が呼吸できる必要があるため、酸素供給システムも開発しています。
そして空を飛ぶうえで、どうしてもついてくる課題が「軽量化」です。必要以上の重さは、航行の安定性だけでなく、運航料金にも大きく影響します。品質や機能は勿論、空間的制約や開発製造コストなども加味して機体全体を可能な限り軽くするのは、常に向き合っている課題です。
訓練された人しかいけないのでは、「宇宙の民主化」は実現しません。安全なフライトのために、すべてのさまざまな課題を120%クリアしなければならない。あらゆる要素にこだわってキャビンをつくり上げています。
(※1)骨格設計や気密構造に数々の特許技術を使用。機内の気圧変化は旅客機より小さく、飛行時の振動や揺れは新幹線より小さなものに。窓部分は直径150cmのドーム型形状になっており、壮大な宇宙の姿を遊覧することができる。
――500回ものフライトを無事故で終えていますが、開発における失敗はなかったのですか。
フライトでの事故はありませんが、当然、開発や製造での細かなエラーは日常的に発生します。ただ逆に言えば、失敗を繰り返してきたから世にないものを生み出すことができていると言えます。代表の岩谷は、風船にカメラをつけて飛ばし始めたときから、膨大な数の失敗を経験してきました。
だからこそ、不可避の失敗があることは理解しているし、それでも挑戦を続けて実現させることが重要だと、社内にも共通認識として浸透しています。
岩谷技研には、事業構想や理念に共感して、全国各地からこの北海道の地へ門を叩きに来てくれる人が大勢います。そうして集った人材が、変化を当然のこととして受け入れ、一人ひとりが変化に慣れている。「できない」と思えることを「やろう」と言い合える組織があるのは、技術力以上に大きな強さなのかもしれません。
「気球で宇宙へ」を全員で
――宇宙遊覧のための「気球」とは、どのようなものでしょうか。
橋詰 気球というと「熱気球」をイメージされる方が多いかもしれませんが、弊社では空気よりも軽いヘリウムガスを用いた「ガス気球」を使用しています。ヘリウムガスは不燃性のため火がついたり爆発したりせず安全性が高いのも特徴です。
気球の開発では、単純に人を乗せたフライトばかりを検証していればいいというものではありません。「安全に飛んだ」という、たったひとつの成果を出すために、あらゆる事態を想定した工夫が施されています。
当然、私たちは搭乗者の人命を守ることを大前提として気球の設計をしています。ただ、それは単純に「強度」だけを追求するのではありません。飛行中に想定される様々な条件や、いくつかの異なる気球の工法など、試験で繰り返し検証してきたことで、安全な飛行を維持する最適な気球の工法にたどり着きました。
――そうした設計が可能なのも、岩谷技研ならではの技術力があるからでしょうか。
私たち「ならでは」の技術力というのがあるかどうか、定かではありません。仮に他の組織が同じようなものをつくりたいと思えば、おそらくノウハウを真似すればできるでしょう。ただ、宇宙遊覧を夢で終わらせず実現できるか否かの差は、「本気で目指しているかどうか」に尽きます。
実は弊社で気球の製造をしているのは、必ずしも経験豊富な技術者だけというわけではありません。主に活躍しているのは、地元に住むパートタイマーの主婦の方々です。
雇用形態に関係なく、関わっているすべての方々が積極的に意見を出してくれています。その一人ひとりが、自分たちのつくった気球を「必ず宇宙が見える高さまで飛ばせる」と信じてやまずに働いている。誰一人欠けることなく同じ目的へと向かっていることが、そのまま実現力として表れています。
憧れに到達した人の“責務”
――岩谷技研のパイロットになったきっかけを教えてください。
三木 私はもともと自衛官として26年間勤務していました。ヘリコプターや輸送に使われる航空機などを扱い、国民の皆様を守る仕事に従事していたなかで知ったのが岩谷技研です。
私の経験が役立てば、宇宙遊覧の成功に近づける。成功すれば、未来を担う子どもたちに希望を与える一歩になるはず。子どもたちの未来を守ることは、自衛官として働いていた思いとも似た部分があり、力添えがしたく入社しました。弊社には現在、パイロットとしての有資格者が4名、そのうちメインパイロットは私を含めて2名が在籍しています。
岩谷技研ではパイロットを自社養成しており、養成プログラムを修了して資格を取得すれば気球に乗ることができます。ただ簡単ではありません。気球の操縦では「自然」が相手です。いかに風に乗るかが重要になるため、「風を読む」力を身につけるトレーニングもあります。やや不安はありましたが、入社後の徹底的なプログラムで、技術や知識を身につけることができました。
――宇宙を目指す気球のパイロットには、何が求められるのでしょうか。
パイロットにとって最も大切なことは2つあります。ひとつ目は、極端なまでの「安全への意識」です。事故を起こさないためにも、気になることがあれば、パイロットの視点で発言や相談をすることがよくあります。テストフライトでも、風の調子が悪いなら飛ばない判断をするなど、事故になり得る予兆を的確に察知できなければならない。「大丈夫だろう」と楽観的に考えるようでは、いつか事故を起こします。
「宇宙の民主化」を掲げる私たちは、搭乗する方々に楽しんでもらいたい。しかしそうした思いの一方で、パイロットは常に「安全」を最優先に考えられる人でなければなりません。
2つ目は、「他者と壁をつくらないコミュニケーション」ができることです。気球を飛ばすためには、地上の管制塔スタッフとの迅速な情報共有、関係省庁への各種申請、離着陸時の挨拶など、コミュニケーションを取るタイミングが多くあります。
何よりこの事業には、宇宙に憧れ、応援する方々が大勢います。仲間が懸命に開発・製造してくれた気球に乗り、応援してくださる全員の思いを受け止めて飛行する。そのため、見た景色、飛んだ感覚を、積極的に伝えています。人々の憧れる景色を見た本人は、湧き出た思いを語り伝える責務があるはずだと思うのです。その意味でも、パイロットにとって丁寧なコミュニケーションは必要不可欠です。
2024年7月のテストフライトで感じたのは「眩しい」という気持ちでした。日の出の1時間前に離陸し、途中の高度約1万5千mまで上がったとき、日の出を迎えたのです。地上では、あれほど近くで朝日を見ることはあり得ない。目の前に現れた巨大な太陽に、宇宙の壮大さを感じました。
ただ不思議なのですが、宇宙の光景に感動した後、着陸を出迎えてくれた仲間の顔を見ると「生きて還った」ことを実感し、涙が出るほど嬉しく感じました。こうした実感は、飛んだ人間でなければわからない。だからこそ、多くの人にこれを伝える責任が、パイロットにはあります。
すべてが美しく未知な宇宙を、自分の目で見ることの価値はきっと想像するより大きい。この感動を多くの人々に知っていただきたい。そのためにも安全第一のフライトで、人々の夢を実現していきたいと思っています。
「必要」に迫られているか
岩谷 私たちはチーム総体で技術を磨いてきました。ただその要因は組織の連携や試行回数だけではありません。「必要に迫られたから」だと思っています。
「必要は発明の母」という言葉がありますが、私たちの場合、気球で宇宙が見える高さへ人を飛ばす必要に迫られてきました。なぜなら、多くの人々が「宇宙を見て、地球を眺めたい」という夢を抱いてきたからです。私たちには、それらを技術の力で実現するという役割があります。
気球の研究開発に取り組み始めた2011年、もちろん初めはうまくいきませんでしたが、2012年に初めて小型カメラで宇宙を撮影することに成功しました。次第に装置を大きくし、2016年には当初に比べて約100倍の装置をつくることができました。
「0」を「1」にし、「1」を「10」にできたのなら、さらにその先へ進歩する可能性だって必ずある。そしてきっと難しいものではないんです。風船でカメラを飛ばせたのなら有人飛行もできるはず。トライしなければ、その先は見えてきません。
幼少期の「夢」を叶えるとき
――商業運航をまもなく実現させようというフェーズに来ていますが、この先をどのように見据えていますか。
宇宙遊覧を叶えるためには、気球の研究や開発、操縦ができる人材を育てる必要があるため、急拡大はできません。しかし実現できれば「宇宙を見る」ことを多くの方が体験できる世の中をつくれる。まずは10年後を目安に、年間5000人の人々が宇宙遊覧を楽しめるようにしていきたい。
宇宙飛行士も含めて、宇宙を見たことがある人はこれまで600人ほどしかいません。私たちの目指す「年間5000人」が当たり前になると、人生の捉え方が変わったという人が増える世界になるのではないかと思います。
2023年2月からは「OPEN UNIVERSE PROJECT」*もスタートしました。
気球によって“誰もがいける宇宙遊覧”を実現する岩谷技研のテクノロジーを軸に、さまざまな業種のパートナーとの共創によって日本から宇宙産業を開拓し、宇宙をすべての人にひらかれたものにしていく「宇宙の民主化」プロジェクト。
弊社の掲げるビジョンに賛同してくれるパートナー企業様との共創によって、開発からサービスインまで、宇宙産業の開拓を進めています。宇宙をすべての人にひらかれたものにしていく「宇宙の民主化」を目指して今後も前へ進んでいきたいです。
子どもの頃を思い起こすと、親から宇宙ステーションにまつわる科学の本を買ってもらったときのことを思い出します。人間の知恵と勇気があれば、活動領域を広げられるのだと知り、非常に感動しました。
そのテーマが科学や技術、そして宇宙だったことが、いまの私に続いています。岩谷技研は技術を使って人間の可能性を広げる助けとなる会社でありたい。技術を軸に世の中をいかに良くしていくか、未来の人々へどう残していくか、これからも考え続けていきます。